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日本の塩の起源は?塩の歴史や伝統的な塩づくりについて知ろう

普段私たちがなにげなく使い、食べている塩にはどんな歴史があるのでしょうか。そもそも、人間はなぜ塩を摂り始め、作り始めたのでしょうか。本記事では、そもそも人間が塩を摂り始めた起源についてや日本神話に語られる塩、日本の塩作りの歴史について詳しくご紹介します。

塩の粒

そもそも人間が塩を摂り始めたのはなぜ?

そもそも、人間がなぜ塩を摂り始めたのかには諸説ありますが、現在非常に有力な説としては、農耕を始めたことにより、穀物や野菜類を多く食べるようになったからというものが挙げられます。野生の動物を狩っていたころは、動物の血や肉に含まれる塩分だけで事足りていました。

しかし、穀物や野菜にはカリウムが多く含まれ、過剰なカリウムを体外に排出しようとするとナトリウムという成分も同時に排出されてしまいます。塩の主成分はこの塩化ナトリウムであり、カリウムが過剰になったことでナトリウムも摂取するようになったのだ、と考えられています。

日本神話に語られる塩

「古事記」では、日本の始まりが塩作りからできた塩の島だったという記述があり、また、塩土の爺という神様が重要な役どころとして登場しています。さらに、神々が国を生む場面では、大海に矛を突き刺してかき混ぜ、滴り落ちた塩が積もって島になった、という記述もあります。つまり、塩が積もってできた塩の島が日本だとしているのです。このように、日本神話でも塩は非常に重要な役どころを担っていることがわかります。

日本の塩づくりの始まり

SALT

では、日本ではどのように塩づくりが始まっていったのでしょうか。日本の塩づくりの始まりについて見ていきましょう。

狩猟生活から農耕生活へ

最初にご紹介したように、狩猟生活を送っている限り、あえて塩をわざわざ摂取する必要はありませんでした。しかし、農耕生活になり野菜や穀類を多く摂取するようになると、植物に多く含まれるカリウムを排出するためにナトリウムを必要とするようになります。そのため、日本で塩が使われ、作られるようになったのもこの頃だと考えられます。

最初の製塩「藻塩」

藻塩とは、海藻を燃やして後に残った灰のことです。塩分も含まれているが、当然灰なので苦味もあります。これが最初に作られた塩だと考えられています。

弥生時代の製塩「藻塩焼き」

前述のように、藻塩は海藻を焼いたもので、灰が混じっていて苦いという問題がありました。そこで、弥生時代になると海藻をそのまま焼くのではなく、天日に干して乾燥させ、そこに海水をかけることでより濃い海水を取り出し、土器で煮詰めるという「藻塩焼き」という製塩法が出てきます。この「藻塩焼き」は「藻塩」として万葉集などにもよく歌われているように、当時の貴重な塩分源だったと考えられます。藻塩焼きに使われた土器も、全国各地の海辺に近い遺跡から発掘されています。

塩田の登場

塩を潰す

岩塩や塩湖のない日本では、塩を得るには海水を干すか煮詰めるかしかありません。しかし、雨の多い気候の日本では天日干しもままならなかったのです。そこで、海水を煮詰める方法が普及しました。

揚浜式

水が染み込まないよう固めた「塩浜」に、人力で運んできた海水を繰り返し撒いて天日乾燥させ、塩分をたくさん含んだ砂をつくります。その砂を沼井(ぬい)と呼ばれる装置に入れて海水を注ぎ、濃い塩水(かんすい)を取り、釜屋と呼ばれる小屋で煮詰めます。これは、平安時代には既に行われていた伝統的な製法で、現在でも能登半島の一部で行われています。

入浜式

満潮と干潮の中間の高さにある砂地の塩田に海水を引き込み、濃縮する方式です。潮の干満差を利用して塩田に海水を引き込むため、海水を汲み上げる労力が要らなくなりました。碁盤の目のように引かれた浜溝から海水が塩田全体に広がり、毛細管現象によって砂の表面にしみ出すので、塩分を多く含んだ砂ができます。

これを集めて沼井(ぬい)に入れ、上から海水をかけて濃い塩水(かんすい)を作ります。その後は揚浜式と同じ製法で作られます。室町時代末期には既に行われていたとされ、昭和30年ごろまで約400年間もさかんに行われていました。

流下式

ポンプで組み上げた海水を緩やかに傾いた塩田に流し、塩田をゆっくり移動して乾燥してきた海水を竹の枝を組んだ「枝条架(しじょうか)」の上から滴らせることで、太陽と風で水分を飛ばし、さらに濃縮させるという方法です。日差しが弱い冬でも安定して塩を生産でき、砂を動かす重労働も必要なくなったため、入浜式塩田と比べて労力は10分の1に、生産量は2.5〜3倍に増加したとされています。昭和20年代後半から導入され、昭和46年まで行われていました。

現代の日本の製塩法

現代では、イオン交換膜と電気エネルギーを使ってかんすいを採り、真空蒸気缶で煮詰める方法に変わりました。海水を原料としていること、煮詰めていることの2つは変わりませんが、広大な塩田が必要なく、天候にも左右されることがないため、効率よく優れた品質の塩を造ることができます。

まとめ

そもそも人間が塩を摂るようになったのは、農耕生活を営むようになり野菜や穀物を多く食べるようになったからだとされています。人間が狩猟生活を送っている間は、狩った動物の血や肉に含まれる微量のナトリウムを摂取していれば済んだからです。塩を造るようになってからは、塩は貴重なものとして大切にされ、日本神話でも非常に重要な役割を果たしています。日本の伝統的な塩作りには「藻塩」や「塩田」がありますが、現在ではイオン交換膜と電気エネルギーを使って効率よく海水を煮詰めて塩を作っています。塩を食べるときには、ぜひ歴史にも思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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